看護師です。後輩が出世して辛いです
ご相談
伊藤さん(29歳・看護師)
こんにちわ。
相談させてください。
私は看護師になって7年目です。
転職経験がなく、今の病院は新卒からずっと勤めています。
しかし最近、後輩が次々に出世していきます。
主任、各種リーダー業務、委員会の責任者など。
昨年は、1年下の子が主任に抜擢されました。
悲しいです。
自分がだめ人間になっていくような気がします。
「気にしちゃダメだ」と思っていますが、どうしても気になります。
この間は、後輩主任の指示を無視しました。
私は最低な人間です。
後日、思い直して謝罪しました。
後輩主任は「大丈夫ですよー」と、大人の対応をしてくれました。
私は本当にゴミクズです。
無能です。
私はどうしたらいいのでしょうか?
職場のためにも辞めた方がいいのでしょうか?
すみません。
自分ではわかりません…。
同じようなご経験のある方、アドバイスを頂ければ幸いです。
回答
佐竹 愛さん(30代・看護師)
お疲れ様です。
私も同じ感情を持ったことがあります。
お辛いですよね…。
自分では頑張っているつもりなのに、周りがどんどん先に行ってしまい。
自分だけ取り残されたような。
看護師は辛い仕事です…。
私は看護師になって15年ほど経ちます。
転職は4回しました。
気づけばおばさんの年齢です。
そんな私からのアドバイスを1つ。
「無能だと思われているなら、職場を変えてみよう」です。
結論から言えば、無能な人なんていません。
伊藤さんは、たんに職場と合っていないだけだと思います。
私がそう思った理由を、私の履歴をもとに書いてみます。
新卒の病院
とくに何も考えていなかった私は、「有名」という理由だけで入職先を決めました。
1000床クラスの大きな総合病院です。
配属は内科系の急性期。
バリバリ働く看護師に憧れていた私は、配属先に大満足でした。
しかし。
働き始めて、病院の過酷さがよくわかりました。
体も頭もついていきません。
プリと先輩の怒号。
冷たい主任。
我関せずの師長。
7時30分に出勤し、23時にようやく解放される毎日でした。
10月になり初夜勤。
結果は散々で、朝礼でもダメ出し。
家に帰っても寝られず、夜までずっと放心状態でした。
それでも何とか1年を終えました。
春になり、新人さんが入ってきました。
新人の子達はグングン伸びていきました。
先輩達にも可愛がられ、色々と教えてもらっていました。
新人の子は7月には初夜勤に入っていました。
秋になり、担当を持つようになっていました。
2年目の私はまだ担当を持たせてもらっておらず、新人に先を越されました。
私は心底恥ずかしいと感じました。
人より劣っていると感じました。
季節は2年目の冬。
「アナタのような人は看護師に向いてない」
「どこに行っても続かない」
「○○さん(後輩)は優秀なのに。なんであなたは」
主任から面と向かって言われました。
年末の人事評価は最低でした。
私は出勤できなくなりました。
そのまま休職扱いに。
1週間ほど経った頃「そろそろ出勤してほしい」と人事部から電話が。
それを聞いた瞬間から、体の震えが止まりませんでした。
そのまま退職となりました。
私は無能な看護師だったのです…。
2つの目病院
春になり、私は転職しました。
私が引きこもっているのを見かねた、ボランティアで知り合った先輩看護師さんから、紹介して頂けました。
近所の単科病院です。
古くからある病院で、80歳を超えたおじいちゃんが院長でした。
スタッフも高齢の方ばかりでした。
私はまだ23歳で場違いだと思いました。
しかし、ちょうど電子カルテを導入する時でした。
私はパソコンが得意なこともあり、導入リーダーに抜擢されました。
業者の方と調整したり、スタッフの方々へ使い方を教えたり、苦労は色々とありました。
それでも何とか夏には電子カルテを導入できました。
先輩看護師の皆さんには可愛がってもらえました。
色々なことを教えて頂けました。
看護技術だけではなく、考え方、患者さんやご家族との接し方、社会人としてのマナーまでも。
私は働くのが楽しくなりました。
看護の仕事が初めて楽しいと思えました。
みんなの期待にもっと応えたいと思うようになりました。
師長には「あなたが来て職場が明るくなった」と言っていただけました。
院長からもたいそうな評価を頂けました。
ボーナスもたくさん頂けるようになりました。
私はこの職場では、有能な新人看護師になれました。
でも3年目の冬。
院長が急死。
老衰による心不全でした。
病院は後継者がおらず、そのまま閉院。
私はまた無職になったのです。
3つ目の病院
春になり、私は転職しました。
中規模の総合病院でした。
不安はありましたが、その時は看護師としての自信もついており、やっていけると思っていました。
給料は1.5倍になり、夜勤手当も含めると、40万円近く頂ける計算でした。
師長からは「期待しているね」と言っていただけました。
でもそこで待っていたのは、また地獄のような日々でした。
パワハラ体質の主任に毎日罵倒されました。
小さなミスも見逃さず、毎日のようにインシデントレポートを書かされました。
朝礼ではゴミのように罵られ、泣くまで許してもらえない状況でした。
患者さんからの苦情は、どんな小さなものでもクレーム対応が必要となり、その対策に右往左往していました。
ダブルチェックがトリプルチェックになり、みんな疲弊していました。
職場の負の感情は、私達のような言い返さない看護師にぶつけられました。
先輩達からはここには書けないような酷いことを言われました。
私が関知していないミスも、私の責任にされることがありました。
私は心療内科に通い始めました。
周りからは「なんでこんな人を採用したの?」「人事はちゃんと仕事をしてほしい」「またババを引いた」と、聞こえる音量で陰口を言われました。
私はまた無能になったのです。
4つ目の病院
私は看護師を辞めるつもりでした。
看護師に向いていないと思っていました。
働くのが怖くなりました。
長い無職期間が続きました。
そんな私を見かねてか、2つ目の病院で可愛がってくれた主任さんが、声をかけてくれました。
ランチに誘ってくれたり、一緒に転職フェアに付き合ってくれたり、一緒に求人を探してくれたり。
主任さんが使った転職サイトにも登録しました。
優秀な担当者さんが付いてくれたこともあり、1年の無職期間や心の問題はあったものの、比較的スムーズに転職先が決まりました。
転職先は、また中規模の総合病院でした。
配属先は、混合病棟でした。
でも正直、人生で一番の恐怖でした。
出勤初日は、足がガクガク震え、逃げ出したいと思っていました。
朝礼前には、トイレで嘔吐しました。
しかし、予想外の歓迎を受けました。
年上、年下関係なく、優しい方ばかりでした。
外科出身の看護師が少なく、私は意外と重宝されているようでした。
待遇も良好な職場でした。
朝の情報収集もあまりなく、8時45分に出勤し、18時には帰宅できる職場でした。
こうした健康的な毎日は、ボロボロになった私の心を癒してくれました。
2つ目の病院で教えて頂いた、患者さんへの対応は「それいいね!」と主任さんから言っていただけました。
転職して2年目には、プリセプターにも抜擢されました。
「私なんかが」とは思いましたが、師長さんから「あなたが一番適役」と言っていただけました。
こうして私は、また仕事を楽しめるようになりました。
今の私について
あれから時が経ち、4つ目の病院をまだ続けています。
私生活では、両親の他界、お世話になった主任さんの死去、結婚など色々ありました。
でも私は職場に残りました。
私を必要としてくれていたから。
そして今は主任として働いています。
貯金はそこそこ貯まりました。
夫婦そろって無職になっても、5年くらいは生活できるくらいに。
将来の不安は減りつつあります。
そして何より。
今を楽しめています。
幸せを感じています。
今がずっと続いてほしいと思っています。
伝えたかった事
もし職場から低い評価を受けているなら。
色々と動いてみてください。
あなたを必要としている職場は、必ずあります。
逆にあなたを評価しない職場も、必ずあります。
あなたはご自分のことを「無能」だとおっしゃいました。
でも私は違うと思います。
あなたは無能じゃない。
あなたを無能にする職場があるだけです。
それは誰にだって起こりえます。
あなたは決して無能じゃありません。
無能な人間なんていません。
今は運悪く、辛い職場で働いているのです。
でも仕事を楽しめる職場も必ずあります。
あなたが幸せになれる、そうした職場を見つけてください。
陰ながら、応援しております。
お体にはお気をつけて。
それでは(^^)