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シンママが師長からのパワハラを受けた時の話

女性 30代
感染・特別室3年、一般外科・内科3年、救急科6か月、混合病棟4年、手術室2年

私のこと

看護専門学校を卒業後、大学病院に3年3か月働いていた。先輩はとても厳しく勤務体制もきつかったが、石の上にも3年を信じ何とか続けていた。
結婚を機に退職。2人の子の出産を経て、離婚後、再び看護師として働き始めた。
ブランクが4年ほどあり不安もあったため、中核病院に派遣で日勤のみの仕事を始めた。
慣れてきて、金銭的な補助が必要であったこととスキルアップを目指し、掛け持ちで救急科に半年の契約で働く。
救急科であったが、スタッフの教育は充実していて、派遣であった私にも親切に指導してくれて、とても勉強になった。
その病院での常勤も考えたが、今後の生活を重視し、契約終了後は他県に引っ越しをして、常勤として中核病院に6年ほど勤めた。

原因は師長?!

最後に努めた病院で自主的に退職を決意。
師長が変わり、1年師長の元で働いたが、継続困難となった。
師長が変わって1か月たったころに退職を意識した。

人格は無視。スキルと年功序列思考の病院

大学病院から異動してきた部長により、教育に力を入れるようになった病院。
私が就職する2年ほど前から、教育に対して力が入ったと周囲のスタッフは話していた。
年功序列と専門資格やスキルを重視し、それがあればどんな人格でも副師長や師長になれる病院。
そりの合わない師長により退職するスタッフは後を絶たないが、それが原因と分かっていても、その上司を教育することはなかった。
新人に対する教育には力を入れるものの、既存する上司に対しては見てみぬふりをする病院だったという印象が強い。
そのような不満を持ち、部長へ訴えるスタッフは多かった。
私が辞めるきっかけとなった師長に変わるまで、3人の師長とともに働いたが、私の生活や子供のことなどを配慮し、今までのスキルを認めてくれ、看護を発揮しやすい環境だったと思う。病棟での勤務だったが、シングルマザーとしてでもしっかり働ける環境にあり満足していた。

私があったパワハラ

子供が成長し、託児所に預けられる条件から外れたため夜勤が出来なくなった。
それに伴い夜勤のない手術室へ移動となった。手術室に勤め慣れてきたころに師長が変わった。
院内でも評判の悪い師長であり、集中的にパワハラを受ける対象となってしまった。
また、研究や緊急手術が重なり身体的・精神的にバランスが崩れているのを感じていた。
看護部長に相談するなどの助けを求めたり、メンタルヘルスの研修にでかけるなど試みたが、根本的な解決には至らなかった。
子供たちも心配し、このまま続ける意欲が減退した。自分の看護にも自信がなくなり、このまま看護師として働くべきなのかと自問自答することも増えた。
もう一度自分を見つめなおした方が良い、そしてこの師長のもとで仕事を続けていては自分が壊れると感じたため退職を決意。

辞めました

1年間辛く、退職した。

同じ空気も吸いたくなかった

他部署への異動を部長より提案されたが、同じ院内にいては、その師長と必ず会うことがある。
同じ空気を吸うことも嫌で鳥肌が立ってしまうので、異動は拒否し、退職のみを強く希望した。

自分と向き合う時間

自分を見つめなおし、気持ちを落ち着かせるため就職はしていない。
激務の日々で子供とも向き合う時間が全くなかったため、今は海外へ1年ほど移住し、子供とゆったり生活している。

スタッフとのトラブルは避けよう

看護という職はただでさえ激務。患者さんへの配慮や医療業務に対する緊張感などで心身共に疲労する。
その上スタッフ間のトラブルは避けたいもの。パワハラを受けていると感じたり、ストレスに感じるスタッフと長時間付き合うのは、メンタルバランスを崩し、良い看護もできなくなると考える。そういった場合は、退職する決意も必要だと思う。
看護はどこでもできるし、自分のスキルや看護をしっかり活かせる環境のもとで働くことが、患者さんや家族、自分にとって最良の選択だと思う。